地域の義務的なコミュニティが寿命を迎える日。その滅亡と、新しいつながりの始まりを目撃する

雑記

地方都市の、高齢化が進むよくある田舎。私は今、その中心地に住んでいる。

完全な過疎地というわけではないが、都会のようなドライさとも違う。古いコミュニティが今も色濃く残るこの街には、町内会、子供会、青年会といった昭和の面影を残す組織が健在だ。私はこれまで、自分に課された責任範囲として子供会の会長を長年務め上げてきた。周囲に期待される役割をきっちりとこなし、先日、ようやく無事に次の世代へバトンを渡して引退を迎えたところだ。

こうした地域の役割を一通り経験したからこそ、ここ数年の社会の変化を経て、ある地域の真実がはっきりと見えてきた。それは、伝統だからと義務感だけで続けてきた行事の多くは、なくなっても誰も困らないという、極めてシンプルな事実だ。

かつて、この街には地元の祠のお祭りや、青年会の定期的な集まりがあった。青年会の集まりなどは、そもそも集まる意味や目的がよく分からなくなってしまい、私は途中から参加するのをやめていた。その後、コロナ禍という不可抗力をきっかけに、地域全体のイベントが一斉に縮小・中止された。

あれからしばらく経ち、社会はすっかり日常を取り戻したが、今になってもあのイベントを「復活させよう」と言い出す人は誰もいない。それどころか、内心では「このままなくていいのに」と思っている空気すら漂っている。時間が十分に経過したことで、あれらは本当に誰のニーズもなかったという事実が完全に確定してしまった。

私たちは、すでに役割を終えて形骸化したシステムを、ただ前例があるからという理由だけで必死に維持させられていたのだと思う。

「そもそも論」と「やんなきゃね」のせめぎあい

先日、子供会で長年続いている資源回収について、会長退任のタイミングで一つの提案をしてみた。長年、現場を見てきてずっと疑問だったからだ。

古新聞や段ボールをわざわざ各家庭で何ヶ月も溜め込むのは、家庭のスペースを圧迫するし、保管の仕方によってはむしろ街の景観を損ねる。活動資金を集める目的なら、今の時代、他にいくらでも効率的でスマートな方法があるはずだ。子供たちの成長のためという大義名分もあるが、当の子供たちは大人に言われるがまま、明らかなやらされ感で動いている。

だから「もう無理してこの形式を続けなくても、お互いのためにいいのでは?」と、そもそも論のバサリと投げかけてみたのだ。

しかし、メンバーの反応は意外なものだった。まあ、大変だけどやっぱりやんなきゃね…と、存続を希望する声が大多数を占めた。

彼らは資源回収というシステムの合理性に賛成しているわけではない。前例を変えて何か問題が起きたら怖いという不安や、みんなで一緒に苦労を共有するという行為そのものに、コミュニティとしての安心感や連帯感を見出しているのだ。論理や効率ではなく、感情や空気で動いている組織を、個人の正論だけでアップデートするのは極めて難しいと痛感した。

若者に苦労を強いるコミュニティに未来はない

地方のコミュニティはどこも「若者が欲しい」「新しい感性が必要だ」と口にする。しかし、いざ若者がその輪に入ってくると、待っているのは非効率な前例踏襲や、理不尽な苦労の強制だ。自分たちも若い頃は苦労したのだからという無言の同調圧力。そんな組織が、これからの時代に生き残れるはずがない。

タイムパフォーマンスや合理性を重んじる若い世代は、意味のない義務や苦労のための苦労を課された瞬間、反論することすらなく、静かに、しかし決定的にその場からフェードアウトしていくだけだ。

これからの地域コミュニティは、明確に二極化していくだろう。

  • 「やんなきゃね」の空気だけで古いしきたりに固執し、現役世代にそっぽを向かれて自然消滅していくコミュニティ。
  • 「そもそもこれって今も必要?」という問いかけを歓迎し、時代に合わせて軽やかに「引き算(断捨離)」ができる、新しく発達していくコミュニティ。

今、多くの古い地方コミュニティは、間違いなく前者の「滅亡期」を迎えている。だがこれは、決して悲観することではない。不要な義務が消え去った更地からしか、新しい健全なつながりは生まれないからだ。これからはネットを通じたコミュニティもさらに洗練され、場所の制約を超えて、本当に価値観の合う人たちが自発的に集まる時代になっていく。

これからの身のこなし

子供会を引退した私は、今度は役員ではなく、一人の一般メンバーとしてまたあの非効率な資源回収に付き合うことになる。

だが、もう正面からぶつかって組織を改革しようと躍起になるつもりはない。古い構造を無理に変えようとエネルギーを注いでも、お互いに消耗するだけで終わってしまうからだ。

今後は、町内会の年一回の集まりなど、地域住民としての最低限の義理はきっちりと果たしつつ、波風の立たない程度の心地よい距離感を保って付き合っていく。冷たく突き放すのではなく、かといって過剰に巻き込まれもしない。それが、これからの時代を一番穏やかに、賢く生きる大人としての最適解だと確信している。

私はこれからも、この古い街のコミュニティが役割を終え、新しい形へと脱皮していく過渡期を、一歩引いた特等席から、温かみを持った冷静さで見届けていこうと思う。

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